できることは何もないから

誰かへの愛情がパンパンに膨れ上がって、だけどその愛情の大きさと反比例するかのように「自分にはできることが何もない」という絶望にさいなまれることがある。

できることが何もないという絶望感は、不安を増幅させるし、できることが何もないと言いながら、心配やネガティブな想像にエネルギーを費やして、無駄に消耗してしまう。

子どもたちが学校に行かなくなったとき、思いつくあらゆることをやったし、その道の専門家と言われる人の書籍はかたっぱしから読み込んで、会いに行ける人には会いに行った。

結果、わたしが手にしたのは「できることは何もない」だった。

自分の病気だってそう。その道の専門家と言われる人の情報をくまなく探しては、治癒への道を探った。西洋医学、東洋医学、エネルギーの世界。さまざまな方向に正解を求めた。

結果、わたしが手にしたのはやっぱり「できることは何もない」だった。

「何もない」はネガティブなように思えて、これ以上ない非常にポジティブな言葉です。

できることは何もないけれど、成長する力を信じる。
治る力を信じる。
そして、見えない力の采配に身をゆだねる。

「できることは何もない」を受け入れることができたとき、おもしろいことに「できること」がどんどん目の前に現れるようになった。自分でつかみにいくこともあったけど、どっちかというと手渡してくれる人が現われることのほうが多かった。

「これどうぞ。今、必要なものですよね?」的な。笑

できることは何もないけど、できることはたくさんある。めっちゃ矛盾してるけど、それが私にとっての正解なのだと思う。そしてそのできることは苦しいことではなくて、おもしろいことや心地よいことばっかりだし、たぶんこの一生では終わらないかもしれない。

水神さまのほとりにある湧き水に足先だけちょこんとつけて、そんなことをつらつら思った昨日。めっちゃ冷たいから、足先をつけるだけでじゅうぶんだったよ!